人口が増え続ける小さな町、東川町が選択する「適疎」と、その未来について。
町の話を対外的にすることが増えるなかで、とてもおもしろがってもらえるのが、「適疎」という言葉を使う町の姿勢です。
東川町は現在人口8300人です。この四半世紀で2割、約1500人も増加しています。つまりこの東川町は「人口が増え続けている町」なのですが、実は町として積極的に人口を増やそうとはしていません。わかりやすく言うと「人口を積極的に増やそうとしてないのに、増えている町」なのです。
もちろん、いわゆる「自然減(死亡者数が出生者数を上回った減少のこと)」、「社会減(転入より転出が上回った減少のこと)」はあります。その分を補わないとどんどん人口は減っていくので、人口を「増やす」活動はずっとし続けています。
「適疎」という言葉は、「人口」というものに対する対するこの町の考えや姿勢をとてもよく表した言葉です。いちばん最初の記事で、東川町は「適疎(てきそ)」を目指すまち、という話を少しだけ書いたのですが、今日はこの「適疎」という言葉について、もう少し理解を深めるために書いていきたいと思います。
「適疎」って、どういう意味?
「適疎」という言葉はどういう意味なのでしょうか。取材などを受けたときには、「適”度”な疎」とか「適”切”な疎」なのではないかとよく推測されますが、正確には「適当に疎が存在する」という意味です。
この言葉は何に由来しているのでしょうか?
「写真の町」である東川町には、1985年に発表された「写真の町宣言」と、2014年3月に宣言した「写真文化首都宣言」という2つの宣言文があります。どちらも、東川町の意識の根幹になる宣言文なのですが、後者の「写真文化首都宣言」の趣旨に、適疎という言葉が記載されています。
【写真文化首都宣言文】
1985年、私たちは「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」 それぞれの出会いの中に感動が生まれる「写真の町」を宣言し、写真文化を通じて潤いと活力のある町づくりに取り組んできました。
私たちは「写真文化」を通じて「この小さな町で世界中の写真に出逢えるように、この小さな町で世界中の人々と触れ合えるように、この小さな町で世界中の笑顔が溢れるように」願っています。
「おいしい水」、「うまい空気」、「豊かな大地」を自慢できる素晴らしい環境を誇りにする東川町が、30年にわたる「写真文化」の積み重ね、そして地域の力を踏まえ、開拓120年の今、私たちは未来に向かって均衡ある適疎な町づくりを目指し、「写す、残す、伝える」心を大切に写真文化の中心として、写真文化と世界の人々を繋ぐ役割を担うことを決意し、ここに「写真文化首都」を宣言します。
そして、「宣言の趣旨」には、適疎の定義が記されています。
【宣言の趣旨】
現在、国内は過疎・過密の2極化が進行しています。国は多極分散型社会として強靱な国づくりを目指していることから、本町では写真文化の首都として地方から発信するものです。
・人として本来の居場所=「適当に疎が存在する町」=適疎
※豊かな自然を大切に生かす共生型社会
※写真文化など本町の特性を生かした地方振興
国内外のネットワークと連携
地方の文化歴史保存
世界の人々との交流
ちなみに、この宣言が出されたのは2014年ですが、もっと昔、10年以上前から、松岡市郎東川町長はこの「適疎」という言葉を使っていたそうです。
町の宣言文に、はっきりと「適疎」とその意味が記載されていて、「人として本来の居場所」という意味付けがされている。
「適疎」という言葉にたどりついた理由
東川町はこの四半世紀で人口2割増、「人口の増え続けている」特異な町です。この宣言が出た2014年当時も、人口増のまっただなかでした。ちなみにいかが東川町の人口動態のグラフです。
こんなふうに増加し続ける人口推移、大都市部以外で見たことねえ…とつぶやきたくなるでしょう?
ただし、東川町は「目指せ10,000人超え!」と人口増加を目標に掲げません。自分たちの町の規模をきちんと捉えて、それに見合う「未来に向かって均衡ある適疎な町づくり」を目指しています。どうですか? これ、とってもおもしろくないですか?
人口が増えてくるなかで、東川町はなぜ「適疎」を目指すという判断に踏み切ったのか? 松岡町長が語っている記事を引用します。
「東川町は、“過疎”ではなく、人口8000〜1万人のあいだで、ちょうどよい“疎(そ)”のある “適疎”の町をめざしています。東川らしい暮らしというのは、“疎”があること、つまり間(ま)があることだと思います。都市とは違うゆとりのある空間と時間、そして顔の見える仲間との関係性があることが、これからの暮らしの豊かさになるのではないでしょうか」
ーーYahoo!ニュース 特集「ちょうどよい「適疎」の町へ―― 北海道東川町、人口増の秘密」より抜粋
町長のこうした意識のもと、町として「人口をどんどん増やしていく」という方針にせず、町民がどうすれば豊かに暮らせるか?何が町民にとっての幸せか?を考えて政策を打ち続けてきました。
少し考え方が違えば、全然違うまちづくりの方向もあり得たはずです。たとえば、「人口6000人台から10,000人超え」を目指すことも可能だったかもしれない。「”人口倍増”を目指すまち」を選択していたら、今以上に注目が集まる”おもしろい町”だったかもしれない。でも、それは選ばなかった。
これって、「自分たちの町に、どんな魅力があって、どんなビジョンを描くか」という町側の想いと、「町の住人たちの幸せってなんだろうか?」という住民側の想いを聴き、考えて続けないと出ない答えだと思います。”適疎”は、東川町というちいさな町が、「町の魅力、町の幸せが何か?を考え続けた」結果、たどり着いた言葉なんじゃないか。私はそんなふうに感じています。
「適疎な町」が考える、”未来”の町のあり方
もちろん私も、「良いことばかりだ!」と思っているわけではありません。大前提として、まちの取り組みは素晴らしいものだと思う一方で、課題もあると考えています。
たとえば、「適疎」という言葉が町の価値を上げるなかで、「東川町に住みたい」という人たちが増えています。町公式の移住サイトもとても魅力的。東川町移住体験ツアーを開催すれば、募集人数に対してその何倍もの希望者が集まる状況です。
そうすると、もちろん「一気に」ではないにせよ、今、町が感じている「適疎」というものから離れてしまう可能性があります。なにより二拠点居住や移住がより注目されるこの状況下。「適疎」をうたえばうたうほど、東川町に興味を持つ人たちは増えるはずです。
冒頭にも書きましたが、「自然減・社会減」は否応なくあるので、増やす活動をしないと、東川町が目指す「人口8,000人の維持」は叶いません。なので、人を呼ぶことをやめてはいけない。ただ限りある土地の中で、「疎」のバランスをいかに保つのか?「心地よい町」をどのような形で保つのか?あるいは、今の町にとっての豊かさは何なのか?は、人が集まる東川町として次の課題になるのだろうと感じています。
「未来に向かって均衡ある適疎な町づくりを目指す」という宣言をしている東川町が”目指す未来”は、きっと少しずつ形を変えていく必要がある。先進的なことに取り組み「町のことを考え続ける町」だからこそ、次の未来を描くタイミングに来ているんじゃないか。そんな気がします。
私はまだこの町に住んで間もないですが、この町は、私自身に「いい町とは何か」「豊かさとは何か」という「問い」を与えてくれる。そんな町があることが自分にとっては驚きでもあり、この町が好きになれたいちばんの要因かもしれません。
そして、そんな東川町のこれからのまちづくりに関われることを、私自身はとても幸せに感じています。これからも町のために、自分のなりの答えを探しつつ、力になれることを精一杯動きたいと思います。
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出典
「写真文化首都宣言文」東川町
「ちょうどよい『適疎』の町へ―― 北海道東川町、人口増の秘密」Yahoo!ニュース 特集